研究内容
子育てから進化した親和的社会性の脳科学
本研究成果は、群れで生活し共同で子育てするなど、哺乳動物が持つ高度な社会性を解明する上で重要であり、将来的には、人間の孤独と社会性のメカニズムに関する理解への貢献も期待できます。
今回共同研究グループは、子育てに重要な脳部位「内側視索前野中央部(cMPOA)[1]」を研究する中で、群れで暮らす雌マウスを仲間と窓柵で隔離すると、cMPOAの「アミリン[2]」という神経ペプチドの発現が減り、1週間でほぼ枯渇することを偶然発見しました。その孤独マウスを仲間と再会させると、cMPOAが活性化し、アミリンの発現は2週間で元に戻りました。cMPOAのアミリンやその受容体である「カルシトニン受容体(Calcr)[3]」の量を人工的に減らすと、仲間と接触しようとする行動が減少し、逆にアミリン細胞を薬理遺伝学の手法で人工的に活性化すると接触を求める行動が増加しました。これらの結果から、孤立状態を感知し、仲間と一緒にいようとする雌マウスの親和的社会行動[4]は、cMPOAのアミリンとCalcrとの結合によって制御されていることが分かりました。
本研究は、科学雑誌『Nature Communications』(2月8日付:日本時間2月8日)にオンライン掲載されました。
背景
新型コロナウイルス感染症の流行下で、社会的な関わり、それもバーチャルではなく直接的・身体的な社会的接触の重要性を感じた人も多いのではないでしょうか。私たちヒトやマウスを含む社会的動物は、群れを成すことで寒さや外敵などから身を守ります。また、巣作りや巣の清潔の維持、授乳などを仲間と共同で行い、効率的に育児をします。また、社会的動物が群れの仲間に会えなくなるとストレスを感じ、仲間と再会しようと努力します。それでも再会できないと、うつ状態に似た反応を示すこともあります。
ヒトにおける「孤独(社会的孤立の主観的認知)」は、うつなどの心の健康だけでなく、心血管系疾患やがんの予後など、身体的健康にも悪影響を及ぼすことが知られています。マウスでも、孤独が雄では攻撃性の増大、雌ではうつ様行動や卵巣がんの増悪を招くことが報告されています。孤独を解消する社会的接触の重要性はよく知られていましたが、仲間との接触を感知し、一緒にいようとする行動を起こす脳の部位やメカニズムは、これまでほとんど分かっていませんでした。
黒田公美チームリーダーらは、親子関係に必要な脳内メカニズムを研究してきました。マウスは母親だけでなく、父親やまだ親になっていない雌マウスも共同で子育てをします。これらの子育てに共通して必要な脳のメカニズムとして、「内側視索前野中央部(Medial preoptic area, the central part:cMPOA)」にある「カルシトニン受容体(Calcr)」を持つ神経細胞を発見しました注1、2)。特に母親では、雌生殖ホルモンの作用とともにCalcrの量が増え、子育てに必要なcMPOA神経細胞が活性化することで、身の危険を冒しても子どもを守る子育て意欲を示すと考えられます。
Calcrは、cMPOAの別の細胞で作られる「アミリン」という神経ペプチドによって活性化されます。この研究の過程で研究チームは、群れで暮らしていた雌マウスを1匹飼いにすると、cMPOA内のアミリンの発現がほとんどなくなることを、偶然発見しました。そこで、cMPOAやアミリンの成体同士の社会性における役割を今回研究しました。
- 注1)2015年9月30日プレスリリース「マウスの「父性の目覚め」に重要な脳部位を発見」
- 注2)2021年6月2日プレスリリース「危険を冒して子を助ける親の脳」
研究手法と成果
cMPOAにおけるアミリンの発現は親和的な社会的接触の量を反映する
共同研究グループはまず、cMPOAにおけるアミリンの発現量が変動する条件を調べるために、雌マウス4~5匹の集団ケージから1匹だけ別のケージに入れたり、他のマウスを外に出して1匹だけケージに残したりしました(図1a上)。すると、どちらの場合も隔離されたマウスでは、アミリンを発現する神経細胞(アミリン細胞)の数が2日で約半分に減少し、6日でほぼゼロになりましたが、その後再び集団飼育すると、約2週間で元に戻りました(図1b)。
また、完全に1匹(単独)に隔離した場合(図1a上)と、柵のついた窓越しに他のマウスが見える状況で隔離した場合(図1a下)では、どちらもアミリン細胞の数は6日で3%以下に減少しました。この結果から、雌マウスにおけるアミリン細胞の数の維持には、匂いや視覚的な刺激だけでなく、仲間との触れ合いが必要なことが分かりました。
行動面では、集団マウスに比べて、隔離されたマウスはじっとしていることが少なく、仕切りの窓柵の下を掘ったり、窓柵の周辺を調べたりしていました。さらに、窓柵越しに他のマウスが見える状況で隔離されたマウスが窓柵をかむ時間は、完全に単独のときの5.2倍でした(図1c)。他のマウスが見えていると、窓柵をかんで破ろうとする意欲がより高まると考えられます。
隔離してから2日後、窓に柵がなくマウスが自由に行き来できる仕切りに交換し、隔離マウスを他のマウスと一緒にしたところ、隔離マウスは積極的に他のマウスの匂いを嗅いだり触れ合ったりしました。そして1時間ほど経つと、マウスたちが集団になって寝る様子が観察されました。
a) マウスを完全に単独に隔離した場合(上)と仕切りの窓柵越しに他のマウスが見える場合(下)の模式図。
- b) 5匹で集団飼育した雌マウスを単独飼育すると、6日でcMPOAのアミリン細胞の数はほぼゼロになった。再び集団飼育すると、約2週間で回復した。異なるアルファベットは有意差があることを示す。P<0.05。
- c) 4匹で集団飼育のまま仕切りだけを交換したマウスや完全に単独に隔離したマウスでは、仕切りの窓柵をかむ行動はあまり見られなかったが、窓柵越しに他のマウスが見える状況で隔離したマウスでは、仕切りの窓柵をかむ行動が著しく増えた。異なるアルファベットは有意差があることを示す。P<0.05。
また、cMPOAのアミリン細胞の活性はマウスを集団から隔離すると下がり、隔離状態から集団飼育にすると上がりました。従って、社会的接触の情報によってアミリン細胞が活性化し、アミリンの発現量が維持されていると考えられます。社会的隔離や接触によって発現量が増減する物質はほかにもありますが、アミリンほど迅速かつ極端に社会的状況に応じて発現量が変動する物質はこれまでに知られていません。
アミリン-Calcr神経回路の情報伝達は社会的接触を求める行動に必要
アミリンなどの神経ペプチドは、細胞膜の表面にある特定の受容体と結合し、神経細胞の活動を制御します。アミリンの受容体は、カルシトニン受容体(Calcr)ともう一つのタンパク質からなる複合体です。cMPOAでは、アミリンとCalcrはそれぞれ別の神経細胞で発現しており、Calcrを発現する神経細胞(Calcr細胞)はアミリンをcMPOAに投与したときや、隔離された雌マウスを仲間と再会させたときに活性化しました(図2a)。
次に、cMPOAのアミリン細胞やCalcr細胞が単純に身体的接触という触覚刺激によって活性化するのかを確かめるために、不安・恐怖によってマウス同士が接触する状況をつくりました。マウスは夜行性で、明るい所では不安や恐怖を感じます。マウスの活動時間である夜に、突然強い光を照射すると、マウスは互いに身を寄せ合って警戒し、身を守ろうとします(防衛的ハドル)。この防衛的ハドルの状況では、不安や恐怖に反応する脳部位は活性化しましたが、cMPOAなどの内側視索前野(MPOA)[1]は活性化しませんでした。従って、cMPOAは単純に身体的接触刺激で活性化するのではなく、親和的社会性(親和的な関わり)での身体的接触を必要とすると考えられます。
そこで、アミリンやCalcrが親和的社会性にどのように関係するのかを調べるために、アミリン-Creトランスジェニックマウス[5]を作製し、そのcMPOAに薬理遺伝学的手法であるDREADD法[6]を用いて、アミリン細胞を人工的に活性化しました。すると、野生型に比べて隔離マウスが窓柵をかむ行動、つまり仲間と接触しようとする行動は4.7倍に増加しました(図2b)。逆に、アミリン遺伝子を欠損させた遺伝子組み換えマウス(ノックアウトマウス)を作製し、アミリンを産生できなくしたところ、ノックアウトマウスでは、隔離下で窓柵をかむ行動が26%に著しく減少しました(図2c)。最後に、RNA干渉法[7]を用いてcMPOAのCalcrの発現を約30%まで減らしたノックダウンマウスでは、隔離下で窓柵をかむ行動は半分以下に減少しました(図2d)。
これらの結果から、アミリン-Calcr神経回路によるシグナル伝達が、孤独を感知し仲間と再会しようとする行動の重要な部分を担っていることが明らかになりました。
- a) 隔離雌マウスを仲間と再会させると、カルシトニン受容体(Calcr)を発現する神経細胞が大きく活性化した。赤矢頭は活性化したCalcr細胞を示す。***P<0.001。
- b) Creタンパク質依存的に発現するDREADDを組み込んだアデノ随伴ウイルスを、アミリン−CreトランスジェニックマウスのcMPOAに注入(左側模式図)し、アミリン細胞を特異的に薬理遺伝学的手法のDREADD法で活性化すると、隔離マウスが仕切り窓柵をかむ行動が増えた。*P<0.05。
- c) アミリンの欠損マウス(-/-)では、隔離下で仕切りをかむ行動が野生型(+/+)の26%に減少した。アミリンのヘテロ欠損マウス(+/-)では、隔離下で仕切り窓柵をかむ行動が野生型の半分に減少した。これにより、アミリン量依存的に行動変化が起こっていることが示唆された。異なるアルファベットは有意差があることを示す。P<0.05。
- d) cMPOAに限局したRNA干渉(左側模式図)によりCalcr細胞のCalcrの量を減らすと、隔離下で仕切り窓柵をかむ行動が野生型の半分以下に減少した。*P<0.05。
今後の期待
昨今の少子高齢化やデジタル化などに伴い、人々の社会的な関わりにはさまざまな変化が生じつつあります。さらに、2020年に新型コロナウイルス感染症のパンデミックが発生して以来、人々の社会的な接触は厳しく制限されています。こうした状況の中、イギリスでは2018年に「孤独担当相」が、日本でも2021年12月に内閣官房に「孤独・孤立対策担当室」が設立されるなど、社会的孤独への対策は国内外で急務となっています。本研究成果は、社会的動物の脳が孤独を感じ、仲間を求める行動を起こすメカニズムの一端を報告したものであり、この問題の解明に貢献すると期待できます。
共同研究グループは昨年、同じcMPOAのCalcr細胞が子育て行動に必須であることを示しました。今回の研究で報告した成体同士の親和的社会行動と子育て行動が同じ神経基盤を持つ利点として、共同子育ての促進が考えられます。母マウスは単独でも子育てできますが、母親が集まると大きな巣を作り、誰にでも授乳をする「共同授乳」で子どもを育てます。共同授乳は子どもの成長を促進するため、子育て中はアミリンの発現量が増加し、成体同士の社会的接触を増やすと考えれば理にかないます。さらに、系統発生学や比較行動学的観察により、共感性や利他性を含む高度な成体同士の親和的社会性は、もともと子育てから進化したのではないかと、ダーウィンをはじめ多くの研究者が推測しています。本研究成果は、この古くからの仮説に物質的根拠を与えるものです。
以上のことから、cMPOAのアミリン-Calcr神経回路は、ヒトの共同子育てや、大人同士の社会性にも関わっている可能性があります。ただし、げっ歯類での研究結果をすぐにヒトに当てはめることはできません。そのため、ヒト以外の霊長類での研究が必要になります。霊長類コモンマーモセットは、音声コミュニケーションを用いて家族で子育てをする、人間の社会性の優れたモデルです。現在、共同研究グループはコモンマーモセットにおいてもcMPOAに相当する脳部位にアミリン-Calcr神経回路が存在するか、また子育てや成体同士の社会性に関与しているかどうかを調べています。そして、人間の社会性の本質とその裏返しである孤独の解明に迫ろうとしています。